時間ほど大切なものは他にあるか。

仕事帰りにブログを書こうと思ってマックに行ったらwi-fiがなく、ただただチーズバーガーとポテトを堪能しただけの人になってしまいました笑 おいしかったです。

昨日は、なんだかんだでやっぱり資産をもう少し増やしてからセミリタイヤ すべきか、なんて思って、悶々としていたというより、落ち込んでいました。

資産はそりゃああったらあっただけいいと思う。間違いない。お金があって困るってことはほぼない。でもでも!それを待ってたんじゃおばあちゃんになっちゃうじゃん?とか、あと3年後ならいいんじゃない?とか、いやいや、3年は貴重っすなどなど、堂々巡りで、もうお風呂入って寝るしかないでしょう、そうしましょうという感じでした。

私がギリギリ我慢できるのはあと3年です。その間、死んだようにやり過ごしてお金を貯め、そしてセミリタイヤ をする。これでいいのか。これがいいのか。死んだように生きるその3年間がもったいなくはないか。せっかくこの世に生まれてきたからには、自分の時間を自分らしく生きたいと思うのはわがままか。

聖路加国際病院の日野原重明氏は、全国の学校で出張授業をしていましたが、そこで命とは何かを子どもたちに教えていました。命とは何なのか、一言で説明できますか?

日野原先生はこう教えています。「命とは持っている時間のこと」と。

私はそれを初めて聞いた時、なるほどと思うのと同時にハッとさせられました。「私は命を粗末にしていないか」と。残業してヘトヘトになりながら時間を費やすのは、ただただ命を削っているのと同じかもしれない。何となく過ごしていても、楽しいことをしていても、嫌なことをしていても時間=命は減っていく。だったら嫌な思いをしながら命を削るなんてしたくない。自分にはいつまでも時間=命があるのではなかった!と感じたのです。嫌なことに耐えるのって、潜在的に「それを乗り越えたらその分いつでも挽回できる」と思っているからできるんだと思います。そんな挽回できる時間の保証はないのに。多くの人は(自分を含めて)、非現実的ではありながらも、心のどこかで自分は死なないって思っているんじゃないか。時間をいくらでも湧いて出てくるものと捉えているから、時間を粗末にできるんだと思う。生きている一瞬一瞬がかけがえのない時間なのに、その一瞬一瞬をドブに捨てるなんてことがあっていいのか。なんてもったいない命の使い方だろうと思ってしまいました。

「ちょっと時間ちょうだい」っていうのは、「ちょっとお命ちょうだいします」って言ってるのと同じって考えるとどれだけ時間が大事なものか考えさせられる。Time is moneyどころの話ではない!Time is 命(=life)なのだ!

とりとめのないような感じになってしまいましたが、とにかく、時間を大切にしないということは命を粗末にしているのと一緒。私は持っている時間を、命を大切にしたい。こういう結論です。また表面上は紆余曲折する可能性はありますが、ベースはこれで間違いないです。私は時間重視です。そこを最優先にしつつの、あとは要相談(自分の中でだけど笑)という感じです。